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天職ってなんだ?

2020.07.17  |  ママンのつぶやき

母になった画像投稿10日目、遂にやり切りました!! めっちゃ時間かけてますけど(^^; 最終日の画像は2014年の5月、3人目?の子供である会社”SOMETHING NEWちゃん”を産み出した日です。コガチー開店の日にちょうどカナダから日本に来ていた10年来の家族ぐるみのお友達のパブロちゃんと。”一番最初のお客さんになる!!”と言って開店前のお店の前で待っててくれました。嬉しかったなー!! でもこの写真撮る前にいろんなトラブルがあり、開店までの準備も物凄い大変だったので、朝スタッフの前で話しながら本気で泣いちゃってました。何があったかあんまり覚えてないけど、大きいやつは確かネットで買っていただいたお客様に、商品間違えたか何かで物凄い怒られたとか、出来たばかりなのに店の下水が詰まって水が溢れてきたとか、あれが無い !これが無い!とか言う感じだったと思います。

私はこの時40歳で会社を設立し、それまで5年間ゆるゆる〜とネットと夫のダイニングバー、たまに催事で販売していたチーズケーキの実店舗を作りました。今日はそこに至るまでの私の仕事遍歴を、就職を考え始めた子供たちのためにも晒しておこうと思います。(笑)もう書かないかも知れないけど履歴書とかには書ききれないので。こんなの書いたら採用してくれないだろうなーあはは。



一番最初にアルバイトをしたのは中学3年の時、、、、。ん?中学生ってバイトしていいの?、、、まぁ時効なので言っちゃいますけど、歳を誤魔化してチラシ配りの単発バイトをしてました。早く働きたい!!って言う意欲満々だったんですよ!! 偉いでしょ(笑)でも馬鹿だから自宅近辺の吉祥寺で、当時の中学の体育の先生にチラシ渡しちゃって「あ、、、、」ってなったり。理解のある良い先生だったので見なかった事にしてくれました。K先生あの時はありがとうございました!

そのあとは高校に入ってから(学校的にはバイトダメだったけどそれももう時効にしておこう)ケンタッキーから始まりピザ屋さんとか喫茶店とか。その内もっといい時給を求める欲と好奇心から、パーティーコンパニオン(ホテルの宴会の時にビール持って行ったりする人)とか夜の居酒屋とかで働き、飲食業中心にとにかくお金稼ぎたい一心でバイトしてました。初めて貯めたバイト代で買ったのはヴィトンのミニバッグ7万円だったなぁ。当時流行ってたんですよ。やーねー、高校生のくせにヴィトンとか。

高校2年の時にタレントになりたいと思い、結構大手のタレント事務所に所属し、レッスンを受けさせてもらう内に演技が楽しくなり、高校卒業後にもっと役者寄りの事務所に移り活動していました。とは言え、全然仕事も取れず、お給料制でも無かったので、ご想像通りの売れない役者生活(自宅にいたから楽でしたけど)。この時も芸の肥やしとばかりに、演技のレッスンに通いながらいろんな仕事をしてました。キャバクラ、内装工事、実演販売、キャンペーンガール、レストラン。とにかく知らない世界に入っていくのが楽しくて。しかしどれもちょっとやってみて気が済んだら辞めちゃうと言うダメっぷり。雨が降ってるから今日は休み!とか平気でやってました(^^; 本当に当時はいろんな方にご迷惑をお掛けしました。。。

そんな感じで2年過ごし、もう4年もやってるけど役者も無理かなと諦めて、ここらで一度正社員というものになってみよう! とデータ入力の会社で1年くらい、キーパンチャーの打ったデータをまとめたりする社員になりました。ここでブラインドタッチを覚えたので、今だにキーボードはかな入力です(笑)でも日本語ならローマ字入力 の2倍速いでしょ!!当社比ですが。英語打つときはおっそいけど。


1年くらいやったら案の定毎日同じ作業のデスクワークに嫌気がさして、今度は”営業というものをやってみたい!やっぱり私、人と関わることが好きなので! “と、新聞の折り込み広告の営業として転職。自分一人で車に乗ってお客さんのところに行き、注文を受けて帰ると言ういかにもサラリーマンっぽい感じ!!社会人!!ひゅー!! ちょっと大人になった気がしました。既に成人してましたけど。

しかしここもやはり1年くらいで嫌になってしまいました。いやー、ここまで書いてきて自分のダメな人っぷりにちょっと気分悪くなってきました。ひどいねー。お父さんお母さん、その節は本当に心配かけたね。すいませんでした。


しかしこの後、失業保険をもらう手続きをしに行ったハローワークで、生命保険の営業のおばちゃん(と言っても若めの綺麗な人でした)にナンパされ、私の母親が20年も信念を持って生命保険の営業をしているのを見ていたので、何の拒否感もなくそのまま保険の営業職員になりました。そこで今までとは違う手応えと仕事の楽しさを知り、初めて「これ天職かも!!」と思ったなぁ。お金や社会の勉強も出来て、毎日色んな人と話が出来て、お金も稼げて自分の好きなように動けるなんて、なんていい仕事だ。と保険会社で4年くらい働きましたが、最初の出産を期に仕事から離れていました。ちょっとこの辺の前後の流れあやふやですけど多分こんな感じだったような。

1人目の子供が2才になった頃、祖母に預けてドンキホーテのレジ打ちを少しの間して、その後フィットネスクラブでインストラクターの仕事を始め、2人目がお腹の中にいる8ヶ月くらいまでは大きいお腹でアクアビクスの仕事もしてました。そうそう、インストラクターの時にも「やっぱりこれが天職かも!!」って思ってましたね(笑) だって趣味と実益を兼ねているし。体を鍛えたり、健康になる、そう言う場にいることが気持ち良くて。出産後もまた戻ってしばらくはインストラクターとして働いていましたが、その頃別の保険会社からお誘いがあり、営業職員としてまた仕事するようになりました。


その合間に親子で通っていた極真の道場で週に1,2回ボクササイズや幼年クラスを指導させてもらって、これまた「いやいや、これだ!これが私の天職だ!!」と思ったり、夫のお店でランチタイム担当としてキッチンで料理したりしながら、チーズケーキをネットで売りたいと思い商品化。このブログを始めた時が創業なのでもう10年経ってますね!! 私の中で最長記録の仕事です。

まさか自分が40歳で会社作る事になるとは、20歳の頃には思いもしませんでした。大学も行ってない、何の資格もスキルも無い私に出来る仕事は一般社会の中では限られています。でも、今となっては昔した仕事から得たことも多く、突然ばっくれて来なくなるバイトちゃんの気持ちもわかる(不思議とコガチーにはそんな子居なかったんですけどね)し、ダメ人間期も無駄じゃ無かったかなと。


30代の子育て真っ最中の時は、何も成し遂げていない自分に激しく後悔していたので、せめて子供にはちゃんと大学行かせてちゃんとした会社に就職させなきゃ! 早く将来なりたい職業見つけてそれに向かって勉強させなきゃ! と思っていたので、ちょっと勉強が出来た息子を中学受験させてみたりしました。当時は色々ぶつかりましたが、今の息子を見ていると、まぁ結果としては良かったのかな? 娘も逆にのびのびと育ってるので、それも良かったんだと思うようにしよう。

ちなみに、私の両親も二人とも自営業で一つの仕事を長くやってましたし、元夫も大学の時に始めた居酒屋のバイトから始まり自分の店を持ち、今でも続けています。他の仕事をほぼした事が無い人。そうやって一つのことを長く続けられる人って本当に尊敬します。何で私は続ける事が出来ないんだろう。何ですぐ飽きちゃうんだろう。と悩んだ時期も有りましたけど、気がつけばチーズケーキの仕事を10年続けられていた事に最近気づいてちょっと自分、えらい♡と思いました。

何で続けてこられたのか?と考えてみるとやっぱり、自分がした事や作ったものに対して喜んでくれる人がいるからなのかなぁ。その人の役に立っている事が自分を価値の有る人にしてくれているから?ありがとうとか美味しいとか言われるのが好きなんですねきっと。どんな仕事でも根底はそこなのかなと思います。誰かの役に立つ事が自分の喜びになる。子供の頃のお手伝いでも、家族に「ありがとう」って言われて喜んでもらえるのが嬉しくていろいろやってたしなぁ。


とまぁ、こんな感じの母親なので、子供たちに就活については何のアドバイスも出来ないんですが、自分が興味あるところにまずは思い切って入ってみるのはいいと思うよ。”ダメだったら辞めれぱいいじゃーん!!あははー”とは流石に軽く言えないけど、ある程度やってみて自分の中で何かを得たなら別の道に進むのもいいと思うし、自分から何か始めるのもいくつになっても出来るから。自分が楽しくて人の役にも立っている事が天職なんじゃないかなと思います。まぁ、その天職って言う言葉にも拘らなくていいと思うけど。


ここまで10枚の写真から出てくる思いを書いてきましたが、最後に母から子供2人に言いたい事、


「とにかく目の前の事をやれ!!以上!! 、、、あ、部屋も片付けろ!!」


と言う感じでーす!! がんばれー!!

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